キーボードさえ触れば、きっと心は落ち着くだろう

どんな時だって、どんな場所だって。

「これさえあれば大丈夫」というアイテムをひとつ持っておきたい。なにか触り心地の良いもの。

僕の場合だと、新型モデルの発売されないMacBookAir。たとえ蓋を閉じていたって、鉄の表面を触って温度感を確かめると、心が落ち着く感じがする。

Even if im in any situation, touching pc keyboard settles my mind.

人生の目標は、色々と勉強して、最高の状態でこれを終えること。

マラソンにはゴールがある。ゴールがなければマラソンではない。終わりがなければスゴロクではないし、エンディングがなくてはゲームではない。

「永久に続く虹など誰も見向きはしないだろう」

言葉ではなく肌感覚で、これを理解してゆきたい。いつでも死ぬ覚悟が出来ている。そんな人生でありたい。

そして、たとえ終わる覚悟が出来ていたとしても、少しでもこの美しさが進展すれば、なお良い。

「ラブアタックはここにいた」らしい。

なんだろうこれは。

何かのサインだろうか。それとも既成品のシールだろうか。

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だが騙されるな。反応した時点で負けだ。きっとこれはそもそも「なんだろうこれ」と思わせるためのトラップなのだ。

だけど気になる誘惑には抗えない。ググってみたら、まさに僕が見かけたこの電柱と全く同じ箇所を撮った写真をInstagramで見つけた。

いわば完全にイタズラ。迷惑行為。だけど僕はちょっとだけワクワクしてしまう。

そう、こんな記事をブログに書いている時点で、きっとラブアタックの術中にはまっているのだ。

ラブアタックはきっと30歳の中肉中背、リュックを背負ったおじさんで毎年初夏の頃になるたびに、街にこのシールをペタペタと貼ってゆくのだ。

「ついに‥見つけたぞ! お前がラブアタックだな‥!」

リュックを背負いながら、体躯に似合わぬスピードで、一瞬にしてその場から姿を消すラブアタック。

三文小説が始まりそうな光景。

今日見た夢、消えた妻。

結婚式を控えて妻が消えた。世界はゲームなので、果てしなく初期ステージ群を探し回った。オブジェクトやトリガーの違いによって、海水浴場を果てしない距離まで流れていったはず。どこに行ったかは分からないが、自らの意志により、もう戻ってこないのかもしれない。

Facebookでは昔のmixiの友達が集まって、タイムラインにそれを掲載していた。僕のいないパーティー。だけどまあ疎遠だしそれも仕方あるまい。

ハイカカオ系のアーモンド・ナッツが退潮傾向で寂しいばかり

もしやとは思ったが、今日は遂に、どちらもなくなっていた。

つい最近までここには、ハイカカオ系のチョコアーモンドが二種類あったのに。ひとつずつ減って、いまではチョコレート効果と、よく分からないハンバーガーチックな菓子系チョコレートに変わってしまった。

ひとつのコンビニから消え、ひとつのコンビニから消えr、最後の生き残りだったローソンでもこの様相だ。悲しみが溢れる。これから間食に何を食べれば良いんだろう。普通のチョコでは甘すぎる。ナッツがなければ寂しすぎる。

コンビニのラインナップの寿命は短い。迫害を受けるハイカカオ系チョコレートアーモンド。

たとえば君がいるだけで強くなれたはずなのに。「君なしには生きられないもの」をコンビニで求めてはいけないのかもしれない。また新しい人を探します。もしどうしても忘れられなければアマゾンのジャングルで掴まえます。

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Googleフォトで「ステーキ」と検索すると幸福な気持ちになれるかもしれない

過去に食べたステーキの写真がザクザクと出てくる。あんなステーキも食べたな、こんなステーキも食べたなと良い思い出にひたるのだ。

あいつはアンガス牛。あいつは霜降り牛。ジンギスカンも紛れてる。ありがとう人生。ありがとうステーキっていう気分になる。

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土曜日は活動日、日曜日は休息日でも良いのかもしれない。

土曜日にエネルギーを使い果たすのか、日曜日はひたすらに休息が必要になるパターンが多い。

土曜日が活動的だと日曜日もその感じが恋しくなる。俺はまだまだいける。まだまだ出来ることがたくさんあるはずだという感覚が残っている。

だけど神は日曜日を安息日を決めた。その理由が分かる気がする。土曜日と日曜日では何かが違う。理由はわからないけれど。

もしくは実は、エネルギーの消費どうこうは関係なくて、単にランダム的に波が起こっているだけなのかもしれないけれど。

浅い眠りの次の日に、泥のように眠る日が来る。

睡眠は不思議だ。1日しか違わないのに、雲泥の差だ。睡眠のレベルが。

おそらく前日に浅くしか眠れなかったせいで、今日の眠りが深くなったんだろうけれど。

どちらが良いだろう。どちらかというと泥のように眠って、眠くて仕方ないぐらいの日の方が、眠りの満足度は高い気もする。

そこまで変な睡眠のとり方はしていないせいなのだけど、どうにも寝付きが悪いというか、すごく良い睡眠は摂れていないような気もする。自覚症状がないだけだろうか。

だけどまあ人間、完全な睡眠が摂れていなくたって、死ぬことはない。体には自然の治癒力がある。なので恐れず、睡眠と戯れれば良い。覚醒や睡眠と遊ぶ。

生きるとは眠っているようなことだし、きっと眠っている時は生きているようなものなのだ。

どれだけ良い休日を過ごせたかのレベルと、ブログに書いた記事数は比例している気がする。

今日は大小合わせて30個ほどの記事を書いた。振り返ってみれば。ほとんどの時間をブログを書くフロー状態で過ごせたんじゃないかと思う。ずっとMacBookのキーボードを叩いていた気がする。

ブログを書いた数と休日の満足度はたぶん比例している。ブログを書いた数が休日の良さの尺度になる。だけど、だからろいって数を目標にしたりなんかしない。夢中で記事を書いて、あとで数えた時に、思わず数をこなしているという方が良い。当たり前だが数なんかただの尺度にすぎない。最初から数を目標にすれば、きっと魂は死んでしまう。

魂を大事にする自分向けブロガー、俺。常に今の瞬間を生きている。